いつか行ってみたいと願っていたイスラエルに行くことができました。それは神様の側が一切のことを備えて与えてくださいました。費用も、時も、段取りも、すべて神様が一方的に用意してくださったのです。 4月10日(火)午前、成田を飛び立ち、11時間のフライトのおり、窓から外を眺めているとき、ふいに私のような者を聖地に連れて行ってくださる神様のお計らいに胸が熱くなり、「自分は神様に愛されている存在である」という迫りがもたらされました。 思えば昨年、母から不意のお小遣いをもらったとき、「神様、このお金をイスラエルに行くための足しにしてください。」と祈りました。イスラエルは行きたい国であり、また私には実現の遠い国でした。また、私は若かりし頃、アウシュビッツ強制収容所のことを知り、いつかそこへ行きたいとの願いも持っていたことを今回の旅では思い出しましたが、神様はその両方を一度に実現させてくださいました。 5年前、教会開拓が開かれてから、BFPジャパンを通してイスラエルへの小さな支援が始まっていました。そうしてスタッフの方が訪問をしてくれてから、このBFPの祈りのチーム「ハイナイト」に参加するべきか祈り求めていた昨年、スタッフの方とのやり取りから、「2018年イスラエル建国70周年記念ツアー」が企画されていることを知らされました。まだイスラエルに行ったことのない牧師には優待ツアーとなっているということで、その費用を尋ねたら、それは母からもらった金額とほぼ同等でした。これは神様の導きであると受けとり、主人も一致をもって送り出してくれることになったのです。 このツアーはイスラエル建国70周年を祝うだけではなく、「いのちの行進ツアー」と銘打ってあり、イスラエルへの愛を体験するためのものでした。それでイスラエルに入る前にポーランドに行き、かつて死の行進のなされたアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所間を歩きながら、ホロコースト全犠牲者を追悼するという日程が組まれていました。この年、「いのちの行進」も特別な30周年目を迎えており、世界中から約1万2千人のユダヤ人が参加予定されており、私たちはホロコースト記念式典にも参加させてもらえたのです。 アウシュビッツ=ビルケナウの強制収容所間は3キロほどの距離でした。道のあちこちに警備の警官が見守ってくれている中、私たちはビルケナウの建物につながる線路に立ち、平和のメッセージを記した木の板をそれぞれが置いてきました。二度とこのような悲惨なホロコーストが起こらないように、祈りをもって私は置きました。そこは寂莫とした広大な敷地であり、希望のない死の門の入口でした。ここに送られて来たユダヤ人の魂を思いながら、なんとも言えない思いになりました。 記念式典は盛大で、リブリン大統領と、ネタニヤフ首相の二人が揃って出席なさっていたためか、厳重な警戒態勢でした。その中を私たちツアー総数60名は設けられていた席に座らせていただけました。式典には広島から来られていたチームの方々(おそらく教会関係)が壇上で美しいコーラスを披露されました。またユダヤ人を救済した日本のシンドラーとも言われ、イスラエル政府からユダヤ人を救った人にだけ贈られる「諸国民の中の正義の人/ヤド・バシェム賞」を授与された杉浦千畝さんの紹介がスクリーンを通して行われ、日本人に向けて多くのユダヤ人会衆が大きな拍手を下さいました。杉原千畝さんによって命がつながれた6千人のユダヤ人の子々孫々がきっとこの中にもおられたことでしょう。 また、翌日には、マイダネク強制収容所や、ワルシャワ市内などを見学した後、私たちはイスラエルに向けて深夜ポーランドを後にしました。
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