「 遠くの隣人さん」 昨日、遠くの隣人さんに会った 被災地の学童保育の片隅で 痛んだ座布団の... 繕いをなさっていた 遠くの隣人さんは東京から来られていた 被災地が「ボランティア足りない」というのを聞いて 遠路はるばる来てくださっていた 破れた座布団は 被災地の子どもたちが投げ飛ばし ぼろぼろにして遊んだためということだった 「大切にしてね」と子どもたちに声掛けながら 遠くの隣人さんは針を刺していた 「本当は泥かきに来るつもりで来た」のだと 遠くの隣人さんは言っていた 「それで来たら座布団の繕いだった」と言われてた 隣人さんは私よりずっと年上に見えたけど 私よりずっとパワーがあって「どすこい」だった ちょこんと彼女の隣に座って 私も針を持った 私は泥かきはできなくて針仕事ならできると思った でも こんな私でも 遠くの隣人さんのそばにいたら 泥かきもできそうに思えた 近しい隣人にも増して 遠くの隣人さんが頑張っている そんな被災地を覚えながら 「親切なサマリヤ人」に癒された行き倒れの「ある人」は この私だったとつくづくそう思う 親切な隣人になろうとして 実はいつもイエス様に愛をもらいに行っているだけの者だと つくづくそう思う
0 コメント
久しぶりの更新です。
イスラエル旅行記は途中半ばのままですが、しばらくお休みします。 ちょうど西日本集中豪雨の時、可愛がっていた愛猫が危篤になり、雨で浸かった道を回り道しながら点滴に通っていました。15年一緒に暮らし、家族の一員で、教会の礼拝にもやって来て、信徒さんにも可愛がられていた猫でした。病気が悪化した時はつらかったですが、最後の一息まで看取ってやりました。 それから慌ただしく日々が過ぎ、やっと身辺も落ち着き、倉敷市真備の被災地にボランティアに行くことができました。 とはいえ、50代後半で体力がないので泥出しなどの肉体労働は控え、学童保育のお手伝いに先週、初めて参加させていただきました。ここの小学校は被災を免れていて、被災した小学校の学童を受け入れ、合同の保育をしていました。 学童保育のお手伝いと言っても、子どもさんと一緒に遊ぶので肉体的には問題はありませんがどれだけお役に立っているのかは分かりません。 ただそこに行き、真備の街並みを通り、その地の方々の痛みを覚えて祈るようになれました。 そして明るいお子さんたちの笑顔の中にも、ふと辛い思いが見える時があります。それで、そのような思いに少しでも寄り添えればと願っています。自分の力の無力さをイエス様に励まされています。 暑い日が続いていますが、今朝、めずらしく窓から入る涼しい風を感じました。 今日の日も神様に感謝。 |